ヨーロッパアルプスのオフピステ

もう20年以上前のことかもしれません。ウィーンでの学会を理由にオーストリアアルプスのサンアントンを訪れました。学生時代からのホームゲレンデの野沢温泉村とは姉妹村提携を結んでいたので、名前だけは知っていたのです。野沢温泉村と少し違い、アルプスでも屈指の高級スキーリゾートである事はあとで知る事になります。当時、ベルリンの壁は未だ崩壊(1989)しておらず、ウィーンからサンアントンへ向かう列車は一旦東ドイツ領内を通ります。閉ざされた回廊と呼ばれる部分です。いきなり東ドイツの軍人が列車に乗り込んで来て、コーパートメントのドアの鍵をかけました。ちょうどこの辺りを舞台にした映画アバランチエクスプレスそのものでした。この映画は細菌兵器に汚染された列車を軍が封印し、乗客全員の抹殺を企てるストーリーです。
 さて、サンアントン、ヨーロッパ駐在の友人が入れてくれていたはずのホテル予約が入っていないとか、何とか部屋はとれたものの、ちょっと驚くお値段であるとか、ダイナーズオンリーと言われてアメックスが使えずキャッシュサービスへ走ったとか、ばたばたしましたが、なんとかスキーができる事になりました。うれしかった事は、レンタルショップで、いつも使っている同じモデルのノルディカの靴とフィシャーのスキーが借りれたことでした。
 ゴンドラを降りて、いきなり驚かされました。展望台の手すりの20mほど向こうに、岩のトーテムのようなピークがあります。5mほど下をカミソリのような細い氷の稜線がピークに続いていました。そこにザイルをかけ4人のクライマーが、ピークに登ろうとしているのです。 先頭で確保しているのはすごい美人、後ろの確保は展望台上です。さらに面白いのは、全員が背中にスキーをくくり付けていました。下を見ると10mぐらい下に扇状の雪面があります。上部の斜度45度。あそこから滑るのだ。日本だったら絶対誰かにしかられる。ゴンドラの職員とは大声で冗談を飛ばしていましたから、きっと普通の出来事だったのでしょう。
 もう少し時代は古くなりますが、日本の八方尾根、新雪の急斜面を二人のスキーヤーが滑っていました。突然、放送です。「オイ、バカヤローそこの二人、こっちへ来い」パトロールの大音響アナウンスでした。
 私自身の経験、関西のハチ北高原です。天気がよくて気持ちがいいので、コースを離れて、すすき原のようなところを女の子たちをつれてピクニックをしていました。突然、真前の斜面を雪上車がおなかを見せてあがってきたのです。海兵隊から見た敵戦車の襲撃です。スキー場のパトロールでした。コースの外にいる我々が気に入らなかったようです。雪上車が来る場所ですから決して危険な場所とは思いません。自己責任論の応酬になり物別れになりましたが、それ以来このスキー場には行っていません。どうも、日本のある立場におかれた人々は、管理する立場からしか物事を考えないのでしょう。警官、駅員、公務員、教師、医者。もちろん、事が起こった時に、管理責任ばかり追求する現実がある事も事実です。公園の中の池の全周囲に高いフェンスが張り巡らされ、景観が台無しになっているような国はおそらく日本だけだと思います。
 サンアントン、コースの端に5カ国語の看板が立っていました。オフピステ、ここから先は自らの能力と責任の範囲で行動しなさい。なるほど、納得。シュプールがあったので、ついて行きました。急停止、5mはある垂直な岩の絶壁でした。この時代、フリースタイルスキーはオリンピックでは採用されていません。彼らは、岩の絶壁を利用して、フリースタイルの練習をしていたのです。着地点は45度ぐらいの軟らかい雪で、ジャンプ回転に失敗してもけがをしないところを選んでいたのです。私は止まれてよかった。自らの能力の範囲である事は証明しました。自然の中で新しい遊びをどんどん見つけて行くオフピステ、新しいスポーツは遊びの中からから生まれていたのです。
その後、ヨーロッパに来るたびに、スキー場を訪れました。お気に入りは、ツエルマット、クライネマッターホルンと呼ばれるピークからオフピステの滑降です。パトロールのおじさんが、エヘンと咳払いをして注意してくれました。あそこはビックホールがあるから気をつけるように。クレバスね、ありがとう、気を付けます。

2008.02.13